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表現の自由、インターネットにおける表現の自由を考える。

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高度な近代社会において、

表現の自由は、

「私には、○○。」という意見を表明する、表現の自由が存在する。

というスタンスではなく、

どれだけ、頭に来ようが、どれだけ、怒り心頭しようが、

君には、そういう意見を述べる表現の自由が存在する、というスタンスで存在する。

また、スイッチを付ければ、無料で見れる、何千万という視聴者を抱えるTVと、お金を払う必要があるが、10万人近くが読む週刊誌という媒体と、基本、検索しなければ、見つけることが不可能なネットの世界では、自然、表現の自由の意味合いが違ってくる。

一般社団法人 日本雑誌協会

何千万が視るという媒体には、自然、表現の自由が、制限されて当然である。

その辺を整理して議論できないジャーナリズムは、なんとも情けない。

表現の自由と良心の自由を混同してはならない。

人は、頭の中では、それこそ、自由に何を考えてもいい。

しかし、何を言ってもいいという事には、ならないはずである。

他者であう相手を罵倒するだけの発信を、公の場で発言する、デモ行動をする、表現の自由など、存在しない。

昔も、そういう偏見に満ちた考えの持ち主もいたであろう。

が、昔は、とても恥ずかしくて、そういう意見を団体で、シュプレヒコールを上げる行為をできなかったであろう。

それは、つまり、社会の空気、雰囲気が許しているのである。

頭がハッキングされた輩は、どこから、ヘイトで、どこからが、自由な発言であると線を引くのかと、躍起になって噛みつくであろう。

人間の行為において、どこからが、という線は、簡単には引けないのである。

歴史的に見て、表現の自由とは、

公儀の行いに、どうしても我慢ならず、村の代表を決め、決死の覚悟で、江戸まで直訴しに行く。

そういう人達のために存在するのである。




決して、相手を罵倒するだけの意見に、存在するのではない。

西洋においては、ほぼ自分達の力において、日本では、半ば上からの形で、表現の自由を獲得してきた。

インターネットにおける表現の自由

しかしながら、インターネットにおいては、少し事情が違ってくる。

梅田望夫氏の言うように、インターネットとは、善と悪の増幅装置である。

発刊年数は古いので、ご注意下さい。

一般ユーザーは、通常、

「あのグルメは、滅茶苦茶、旨かった。」
「あの旅館は、最高だった。」

とか、

「あそこのサービス、最悪。」

なら、書こうとするが、

「あそこのラーメン、旨いには旨いが、卵が冷え切っているのは、何とも残念。」的な事は、イチイチ、書き込みしようとは思わないのだ。

少し冷静になって振り返ってみよう。

ほんの十数年までは、これほど、リッチに書き込みできるコンテンツは、存在しなかったはずである。

大雑把に、2ちゃんねるやmixiくらいなものであった。

また、2ちゃんねるに書き込むする者は、2ちゃんねるにと、一般ユーザーとほぼ交わる事もなかった。

いわば、棲み分け理論が存在していた訳である。

当然、当時、2ちゃんねるが、巨大な分野を網羅し、そこでしか得られない情報が存在し、一般的に世間がイメージする2ちゃんねらーが、闊歩していた掲示板が、ごく一部であった事は、私は知っている。

闘病ブログに、心無いコメントを寄せるようになったり、mixi が招待制を止め、誰もが入会できるようになって、おかしなユーザーと一般ユーザーが、交わるようになったのは、ここ10年くらいの事であると思う。

ブログツールでは、おかしなリンクをコメント欄に寄せてくるスパムと、それに対応するブログツールのいたちごっこであった。

それでは、そういう罵詈雑言に近い書き込みを放置したままでよいのであろうか?

個人的には、もう慣れた。

リテラシーとは、本で学ぶのも一つの方法ではあるが、実地にくぐり抜けていく必要がある。




時折、TVやラジオの解説者が、ネットとTVを勘違いした視聴者の

「こういう書き込みがあるのですが。」に対して、

「それは、いけませんねぇ。サイトの運営者に言って、削除してもらわなきゃ。」

的発言を見聞きするが、

冗談ではない。

Yahoo! などの企業が運営する媒体なら、ともかく、無数に存在するサイトは、いわば、クリエイターらの余興で創られたものである。

犯罪に関係するものなら、ともかく、そんなものをイチイチ、削除していく手間も時間もないのである。

それらの行為は、大挙してネットに乗り込んできたTV視聴者に近いメンタリティーの持ち主が、多数という名の暴力において、

先住民らが、営々と築いてきた文化をなぎ倒すに等しい行為である。

では、どうするか?

マシュマロ公式 @marshmallow_qa のように、クレバーに、罵詈雑言をAI にて排除して行く方法がある。

が、サイトの規模などにより、全て適応させるのは不可能であろう。

例えば、Google なり、Yahoo! が、独自のコードを作成し、

Yahoo! ニュースに、そういうコードに引っかかるアカウントを、何度か警告し凍結してしまうのである。

そして、それでも、Yahoo! ロコなどに、同じアカウントがスパムを繰り返せば、メールを含めて全てのYahoo! のサービスから追放するのである。

つまり、Google 国、Yahoo! 国からの追放である。

別アカを作成すればよいではないかというユーザーも存在するであろうが、少なくとも、現在の技術において、自宅のPC からは一切、ログインできないという形にできるのではないであろうか。

しかしながら、これには、企業の大きな負担と寄せられるであろう批判の嵐が待ち受けている。

また、一般ユーザーにとっても、もしかして、コードに引っかかるのではないかという萎縮させる場面が出てくるであろう。

WordPress の中核的なプログラマーは、自身のプロジェクトにおいて、「出版の自由」を掲げる。

雑誌、TVなどにおいては、誰でも発言できる訳ではない。

ネットは、そういう一般の人達に、意見表明の場を与えた媒体でもある。




現実世界で、内部告発すると、大変な目に遭うために、ネットは、そういう部分でも役割を担っているのである。

ゲームの世界では、アサシン クリードのように、徹底的に人種的立場を考慮したゲームが存在する。

Photoshop を開けば、最初に目にするのは、サングラス姿の黒人女性である。

そこには、adobe からのメッセージが込められている。

クリエイター、クリエイター集団とは、そのように、社会の流れを横目で見ながら、粛々と自分達のプロジェクトを推し進めていくものかも知れない。

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