
パソコン通信時代からネット接続していた僕が最も恐ろしかったこと それはカルトか!?テロ集団か?
僕は、インターネット黎明期、まだIEやGoogleなどが登場していないニフティサーブのパソコン通信時代から、ネットにアクセスしています。
年代で言うと、1990年代初めか1980年代終りの頃だったと思います。
インターネットも始まった頃は、牧歌的でした。
ニフティサーブの時代に、既にチャットは存在してたのですが、入室する際、勇気が要ったのですが、「仕事終わりに、軽く話しませんか?」と話し掛けられ、びびって退散。
Internet Explorer(IE)登場後も、口をあんぐり開けて待ってるほどの遅さにも、別に、気にせず、のんびりしてました。
僕らが、ティーンエイジャーの頃、文通文化というのがあり、雑誌の読者の欄で、文通相手を探してたりしました。
1990年頃というのは、バブルがはじけて居たのかも知れませんが、決して暗い時代ではなく、また、出会い系というのも、まだ存在せず、文通文化の名残か、「ご近所さんを探せ!」というのがありました。
今でも、「ご近所さんを探せ!」というサイトはあるようですが。
そこで、ほかにもメール交換していた人はいると思いますが、今でも覚えてるのは、女子高生とメール交換をしてました。
と聞くと、皆さんが想像するのと全く違うのですが、単なる音楽の趣味で少しやり取りしてただけです。
割と近くに住んでいたようですが(アバウトな住所しかわからず、メールアドレスもサイトのもだったと思います。)、今のように会おうとか、別に考えない時代でした。
そもそも、出会い系が登場するまでは、誰もネットを通して誰かと会おうとか、女子高生を騙りつつ、実は、おじさんだったなんて、発想そのものが存在しないでした。
この頃は、サイトもWordで作ったの?的なものが、ほとんどでした。
それから、爆発的な勢いでネットは進化し続けています。
ブログも2005年くらいに始めました。
今では、当たり前のようなネットの存在ですが、2005年の時点では、日本の全世帯にネットは存在しなかったのではないでしょうか。
最初は、Amazonも、詐欺られたら、クレジットカードの保険を効かそ、てな具合で、クレジットカード番号を登録しました。
ずっとネットにアクセスし続け、書き込みや何かやブログをしていると、色んなことに出会いました。
マニアな映画のCD化されていないサントラのテープを送って貰ったり、オフ会したりと、嬉しい出会いもありましたが、今は、なんとなくイーブンですが、やっぱり心に残るのは、嫌なこと、傷ついたことです。
その中でも、今から書くことは、弩級の出来事です。
少なくとも、僕にとっては。
前触れ
2011年、Twitter上での「反原発vs反原発潰し」の激しい応酬に嫌気を差した僕は、次なるメディアを物色し、結局、Google+に行き着きました。
これは、Google+を始めて、しばらく経った頃の出来事です。
僕が、Chrome拡張の開発者に招待されて、Google+に参加直後、Google+は、一般開放したのですが、まだまだユーザーの絶対数が少なく、日本人も、ほとんど居ませんでした。
そんな中、日本びいきのルーマニア人の男性と意気投合し、意見交換だけではなく、酒場で繰り広げられる文化論や人生論のようなことまで、やり取りをしていました。
Twitterだと、文字数が限られるのですが、Google+には、文字制限がなく、お互い、日本語の間違い、英語の間違いを指摘し合う仲となりました。
彼にとって、英語は、第2外国語にあたるのか、恐らく英語をネイティブで使う外国人なら、僕の英語力で、ここまで仲良くならなかったでしょう。
その頃のGoogle+は、周りのアカウントは、ほとんど外国人で、ほかにもやり取りした外国人も居たと思います。
そんな中、よくわからないアカウントが、僕の投稿にしばしばレスポンスをしていました。
げっ、まじ!!
そのアカウントの投稿を見ると、何を投稿しているのかわからず、フォローせず、そのままにしておきました。
Google+では、サークルを指定したり、「友だちの友だちのサークル」への公開の限定公開と誰でも見られる一般公開とでは、公開範囲が違います。
投稿者が指定されたサークルに入れて貰えるか、少なくとも友だちの友だち、即ち、自分がフォローしているアカウントが、投稿主をフォローしているか、自分が投稿者をフォローしていないと、、「友だちの友だちのサークル」への公開含め限定公開は見れません。
そのしつこく、僕の投稿にレスポンスしてくるアカウントは、僕が見る限り、神秘的な羽のある馬の画像とともに、何かを投稿しているようでした。
うんざりしていたのですが、僕の下手くそな自分が撮った写真に、+1(「いいね」)してくれたので、思わず嬉しくなり、そのアカウントをフォローしました。
翌朝、日曜日、Google+を開いて、悪い二日酔いを何十倍にもしたような胸くそ悪さで気分が、かつて味わったことのないほど、悪くなりました。
この画像は、「2001年宇宙の旅」のワンシーンから取って来たものですが、なんと、日曜日という休日の朝、僕の目の前に飛び込んできたものは、目や鼻の輪郭もはっきりしていない赤ちゃんが、路上に捨てられてある画像だったのです。
その赤ちゃんは、まだへその緒も付いており、血にまみれていました。
どうも、中絶反対を訴えているらしいのです。
そのアカウントの投稿、フォローする前は、一般公開しか見られませんでしたが、「友だちの友だちのサークル」で、一般公開とまるっきり違うグロテスクな画像とともに、何かを投稿しているのです。
それらの投稿から、どこかの少人数のカルト、過激派を思わせました。
グロテスクな画像について、欧米人が何やら語っているではないですか。
ご存じの方もおられると思いますが、アメリカでは、中絶は、宗教上の問題だけではなく、政治的な争点でもあります。
そのアカウントは、即ブロックしました。
が、別アカで、僕にコンタクトを、しつこくしてきます。
おそらく、僕だけに向けて、何やら数限りない外国語で次々に語りかけてくるではありませんか。
どうも日本語だけはできない様子で、最後には、中国語らしき言葉で語りかけてきます。
ちょっと想像して下さい。
リアルな世界は、のどかな休日で、PCを隔てて、よくわからないヘヴィーな団体と関わって一人、ベリー・ヘヴィーな気分に陥っている姿を。
ここまで、シリアスな気分になったことはないです。
思い当たること
自分に、そういう団体に付け狙われる理由は何かあるか探してみました。
僕が日本人だから。
ん~、何か違う。
よく考えて、一つだけ思い当たることがありました。
僕は、アグレッシブな時は、アグレッシブなのですが。
それなりに、政治的信条、それは、党派的なと言うよりも、政治的意見をきちんと持つ人間です。
そういうことも、以前はブログに書いていたのですが。
その中に、英語で、日本のソーシャルメディアの現状をレポートする記事を書いたことがあります。
恐らく、その記事にでだと思いますが、金美玲のことを英語でボロクソに書いた覚えがあります。
日本人に帰化しましたが、金美玲は、台湾人でした。
台湾と中国は、犬猿の仲。
僕の推理では、その記事を読んだ、そのアカウント(アメリカ在住の中国系)が、僕をお同じ仲間だと思い、僕に近寄った。
か、先の日本びいきのルーマニア人も同じ目に遭ったような気がしないでもない。
彼は、「N/A」という言葉を残し、突如、Google+空去った。
「N/A」というのは、「適用されない」とかという意味だそうですが。
彼が、日本びいきということから、というより、彼は、日本のカメラマンが撮った日本の風景ばかりをリシャアしていた。
日本に何らかの拠点を持とうと考えている過激な団体。
一瞬見たグロテスクな画像の投稿もそうですが、いつまで経ってもやめない何カ国語にも渡って語りかけてくるのが、えも言われぬ気持ち悪さでした。
そのアカウントをブロックする際、Googleに、「暴力的なアカウントである。」と報告したのですが、該当のアカウントは、次から次へと違うアカウントでコンタクトを取ろうとして、埓があかない。
アフターマス
痺れを切らした僕は、アメリカ本社のGoogleに掛け合うことにした。
当時、東日本大震災でのアメリカの協力に対してのお礼メッセージに混じって大量のある種の売り込みのようなスパムがGoogle+で横行していた。
僕は、すらすら英語を読めないが、自分が言いたいことは、調べながらではあるが、ある程度、書けたりする。
Google+上で、ある種、カリスマとも言えるGoogle本社に向けて、何かを伝えるというのは、非常に緊張し、文章を書く時間も掛かったが、何とか書けた。
そして、Google+上で、Google本社のアカウントに向けて投稿した。
その際、上記のスパムと間違われないように、一つの証拠として、ブログ記事のリンクも入れていたので、第一、読んでくれるかどうかもわからない。
「この話を信じるかどうかは、あなた方次第だ。
私には、関係ない。なぜなら、これは、私の問題ではなく、あなた方の問題である。」
という文言を最初に入れておいた。
こういう台詞がでるのも、映画を観ていたお陰だ。
アフターマスのアフターマス
Google本社に掛け合ってから、該当のアカウントからコンタクトされることはなくなった。
先日、大マスコミは、安全圏で、醜い争いをしている中、非常に真摯に日が当たらない境遇の人に、スポットライトを当てようと地道に、十分な覚悟を持って取材していた人が殺された。
国会質疑では、党と名前は聞かずだったが、この事件のことに触れ、「自己責任」という言葉を連呼していた。
彼は、「自己責任」という概念を一度も熟慮したことがないのだろう。
「自己責任」という言葉を持ち出す人達を見ると、自身は、人生において成功していると思っている節がある。
この「自己責任」という概念のオリジンは、わからない。
昔と違い、個人の選択肢が増え、自由度が増したから、出て来たのかも知れない。
危険な地域で、使命を感じて、何かを伝えようとしていた彼のことに対して、「自己責任」という言葉を持ち出すのは、彼の死を愚弄し、彼の仕事、彼と同じ仕事を持つ仲間を愚弄しているのではなかろうか?
地道に取材し、ルポタージュをまとめている記者もいるが、王道を行くジャーナリストは、ただ単に政治家にぶら下がり、あわよくばオフレコを貰い、政治家と仲良くなることが、ジャーナリズムと勘違いしている。
もしくは、学者のような気の利いたことを書き、その先は、論説委員、はては、大学教授と間違ったコースがステータスとなっている。
アメリカでは、ジャーナリストが社員なんて考えられない。
そんなジャーナリズムよりも、ずっともっと、彼は、貴重で意味のあることをしていた。
そういう事件があったから、この記事を書いたわけではありませんが、遠隔操作という事件から想像するに、自分では、そういうことに加担している意識は全くないのに、何らかの団体の一員にされている。
もしくは、陰りは見えるとはいえ、覇権を握っているアメリカに潜入するなら、まだしも、なぜ日本なのかは不勉強でわかりませんが、日本、日本人は、そういう団体にターゲットにされているのかも知れません。
僕は、割と短期間で解決できましたが、今後、「誰に相談しようとしても、ヘヴィー過ぎて、話自体も信じて貰えない。」という中で、僕と似たようなことを体験する人がいるかも知れません。
なので、こういう目に遭った人がいるということを知っておくだけで、何か違うのではないでしょうか。
実際問題、僕とコンタクトを取ったアカウントが、本当に過激な存在であったどうかわかりません。
また、彼もしくは彼女が、僕とコンタクトを取って何をしようとしたのかも、全くわかりません。
しかし、時代は、個人が孤立した中で、ネットを介して、事件にはならないが、とても恐ろしく、シリアスな事に遭遇しても不思議でない時代に突入しようとしています。
一部、トーンが変わった部分がありますが、そのままにしておきます。
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